22歳の岡崎視点①

ANGLEオーナーの飯田との縁で、旅の目的地として岡崎に来てくれた長崎君。ひと夏の滞在を、彼の視点でコラムに綴ってもらいました。

COLUMN

2023.11.02 UP

長野県上田市出身の22歳、長崎航平。同じく長野県の長野市に位置する変な雑貨屋「シンカイ」の店主を卒業して、車での旅を決意。 店主時代に一緒にイベントを企画、運営したことのあるANGLEを頼って、旅の最初の目的地として愛知県は岡崎市に。

2023年の6月で長野での仕事を辞め、しばらく旅に出てみることにしました。

旅の最初の目的地として、愛知県の岡崎を選んだ理由は至ってシンプル。ANGLEオーナーの圭さんが「うちの街においでよ」と言ってくれたから。

岡崎の滞在は当初の予定を大幅に延長させて、2ヶ月間。レジデンスに居候をさせていただきながら、厳しすぎる暑さの中、街をふらふら歩き回って気になる喫茶店に入ってみたり、レジデンスから歩いて5分の愛すべきスーパー「シビコ」と、歩いて5秒の朝市・二七市で食材を買って夕食を作ったり。
天気が悪いと部屋に籠って、サブスクのウォッチリストに溜め込んだ映画を観たり、働いていた時代に溜めに溜めた積読本を消化したり。

観光というよりかは、暮らしに入り込む滞在という言葉の方がしっくりくるような。そんな2ヶ月間を過ごしていました。

滞在先の家の扉を開けると、
5日に一度はこの景色をみることができた岡崎の朝

1泊2日の旅行では見えないその土地の人たちが持つ感覚、使う言葉の微妙な違いなんかが2ヶ月もいると見えてきます。
「〇〇屋さんのイントネーションが高野山のイントネーションと同じなんだなぁ」とか
「一口に愛知と聞くと、長野県民は名古屋を想像しがちだけど尾張と三河で結構文化が違うんだなぁ」とか
「やっぱり暑いなぁ」とか

そんな中で、「岡崎滞在を長崎くんの言葉でコラムにしてよ」と圭さんに声をかけていただいたので、余所者の僕がこの街から感じたことを少しだけ書かせていただくことにします。


街の魅力は人の魅力でしかない

僕が生まれ育った長野県の上田市という街は人口15万人、ちょうど岡崎市の半分ほどの人が暮らす土地です。人生のほとんどの時間を過ごしたこの街に対する愛着はすごいものだと思いますが、その上田の魅力について語るときに切っても切り離せないのが、自分が気を許せる人たちの存在。
もはや僕がこの街を好きでいれるのは、この街で生ける人の存在があるからとまで言えるかも知れません。

学生時代から通い続ける喫茶店では、行く度に店主に人生相談ができたり、会う度に成長を実感できる小さなお友達がいたり、道で会うと挨拶を交わすことができるおじちゃんが何人もいたり。

例え色んなものが無くても、
気の合う友達がいるから僕は長野が大好きです

その土地が持つ、観光資源などの目に見えるわかりやすいモノで、街の魅力は測られがちですが、個人的にはその土地に暮らす人たちの生き様や、街に対する視点の方が気になってなりません。それは時に、目に見えなかったりわかりにくかったり、その人によって魅力が欠点にもなったりしますが。

僕の地元でもそこで育った人の方が案外「この街には何もないよ」と言ったり思ったりしています。僕自身、わかりやすい”ある”に囚われて、自分の育った街をネガティブな視点でしか見られない時期もありました。

けれど、この岡崎滞在中に一緒に食卓を囲んでくれた家族、魚釣りに行ってくれた友人、一緒に走り回ってくれた子供たち、作業を共にした後輩、そもそもこの街に来るきっかけをくれた先輩。その他にもたくさんたくさん。僕にはこの人たちとの出会いや時間があったからこそ、1ヶ月も予定を延長させるほど充実した時間を岡崎で過ごすことができたし、きっとまたこの人たちの顔が見たくて愛知に訪れるはずです。
僕が他の土地に行っても思い出す岡崎や愛知の記憶は、その土地で生きる人の顔なんだと思います。岡崎の大きなお店や、観光地のことではなくて。

この街に来るきっかけをくれた先輩には、心からの感謝を

ここまでの話だと、「あれ?それって岡崎の魅力?どこの街でも言えることじゃない?」「じゃあ岡崎には目にみえる魅力ってないの?」と言われてしまうかもしれません。
僕なりのこたえは、半分イエスで半分ノーです。その土地に思い浮かぶ”人”がいる限り、その街に魅力がないことなんてないと思うし、だからこそどの街にだって好きになれる要素はあると思うんです。地域性がどうとか、観光資源が豊富で、とかってあんまり関係がない気がしてきました。少なくとも僕には。ガハガハ笑いながら好きな人とご飯が食べられたら、それは違う街だって、家の中じゃなくたっていいと思いますしね。

けれど半分ノーというのは、もちろん岡崎では目に見える街の魅力もたくさん見つけられたから。美味しいコーヒーが飲めるお店をいくつも見つけたし、旅の途中にも関わらず何着も服を買いたくなるような洋服屋も、感動するほど美味いスパゲティが食べられるお店も。ただ、そんなお店ですら気になるのはそこで生きる人のこと。
飲食店でも、作っている人の顔が見える席に座れた方が何だか楽しいし、知らない人が淹れる珈琲よりも、身の丈話ができるぐらいの人が淹れてくれる珈琲の方が美味しく感じるのは僕だけですかね。服屋さんがなんで服屋さんを始めたのか、なんで岡崎という街でお店を始めたのかが気になってしまうのは僕だけですかね。

たっくさんお話ししてくれた服屋さん
僕の中で岡崎という街のイメージを作り出す大きな1つの要素。

そして岡崎は、そんな街の楽しみ方がとても”しやすい”街であったように感じます。
なんでなのかは、残念ながら2ヶ月ではよくわかりませんでした。
ただ、僕みたいな余所者でもこれだけ人が魅力的に映るほど皆さんがご機嫌で優しく接してくださったのは事実。
人の存在を気にすると岡崎の街はむちゃくちゃ楽しいんじゃないか、?

これが僕の持論です。

愛と平和で溢れていた居候先

離れた土地から、天気予報や高校野球で愛知や岡崎という単語を見る度に、思い浮かべられる人たちが僕の中でまた増えました。甲子園で愛知の高校を応援しながら、一緒に生活した生後数ヶ月の赤ちゃんのことを思い出すはずです。
思い出すことができる人の顔が増えたこと、これは旅をしていて、何よりも嬉しく楽しいことです。
絶対にカムバックしたい土地なので、コラムのタイトルは「岡崎視点①」としておきますね。②がいつになるかはわかりませんが、、

ではまた。